県立カナリヤ高校

創立65周年、古き良き伝統とそれなりの進学実績を有する県立カナリヤ高校は、
地元では有数のいわば典型的な名門校である。
学校名のカナリヤとは「確実にナスとリンゴがヤバイ」の略であり、
都市部からは若干離れた住宅街に立地しているが、交通の便は悪くなく、
校舎の裏手には「デフレマウンテン」という丘があり、自然環境にも恵まれている。

今春、英語科の専任教諭としてカナリヤ高校に異動してきた「堀祐真」は、
冷静沈着な性格ではあるが、子どもとのコミュニケーション力に長け、
以前赴任していた高校では指導能力も優秀と謳われていた。
そんな彼に対するカナリヤ高校の理事長の期待は厚く、
また堀自身も、久しく味わっていなかった新天地での教員生活に心を弾ませていた。
理事長「堀先生、今日が初授業ですね。」
堀「はい。最初が肝心ですから、気合いを入れて頑張ります。」
理事長「はは、気合いの入れすぎで倒れて病院に担がれて入院して死なないで下さいね。」
堀「そこまで詳しく言われると冗談に聞こえないですね。」

その通り、今日がカナリヤ高校における堀の初授業の日なのである。
そんな彼の初回授業担当は1年F組。自分と同じく、
初のカナリヤ高校生活を迎えている学年ということで、堀は若干の安心を覚えていた。
堀「1年生の教室は第2校舎の1階ですよね。」
理事長「ほらー危ないなぁ、堀先生。1年生の教室は、第4校舎の1階ですよ。」
堀「あれ、そうでしたっけ…すいません。」
理事長「さ、そろそろ始業のベルが鳴りますよ。急いで急いで。」
堀「はい。」

堀「あれ…第4校舎ってどこだったかな。」
教師A「堀先生、どうかなさいましたか。」
堀「あ、すいません、第4校舎ってどこでしたっけ?」
教師A「うちの学校は第3校舎までしかありませんよ。」
堀は理事長への報復を決意した。

赴任して間もなくから理事長にハメられた堀は、何とか始業ベルには間に合った。
数回深呼吸をしてから、教室の戸をゆっくりと開けた。教室内に入り、教壇に立つ。
堀「えー、みなさん、おはようございます。」
生徒一同「おはようございまーす。」
堀「今年度、このクラスの英語のリーディングを担当することになりました、堀祐真です。」
生徒一同「ありがとうございました。」
堀「何だかいきなり年度末最後の授業みたいになってますね。」

このような開始直後からうざい反応程度で、出鼻をくじかれる堀ではなかった。
堀「えっと、そうですよね、一度名前を黒板に書いた方がいいですね。」
生徒A「先生、私はちゃんと先生の名前聞き取りましたよ。」
いた。何だ真面目な生徒もいるんじゃないか。堀は安堵の息をついた。
堀「あ、何だ。他のみんなも聞こえてたんですか?」
生徒A「保留魔先生。」
堀「とてつもなく絶妙な聞き間違いをしますね。」

堀「…というわけで、私も今季この学校に来たばかりなんです。
  ある意味お互いに1年生同士なわけですが、これから1年間頑張りましょう。」
生徒B「先生、質問なんですけど。」
堀「ん?何ですか?」
生徒B「何をそんなたくさん保留しまくってるんですか?」
堀「どうして蒸し返すんですか。」

堀「さて、自己紹介はこの辺までにして、出欠を取りましょうか。」
そう言うと彼は黒く分厚い出席簿の表紙を静かにめくり、
ボールペンを右手に、教室向かって左前に座っている生徒に視線を移した。
堀「えーと…最初は、天城(あまぎ)くん。」
天城「違いますラピュタです。」
堀「無理ですそんなの。」

1人目から読み仮名で豪快につまづいてしまった堀であるが、
この「最初の出欠確認」というのが教師にとってはまた面倒なものなのであった。
苗字の読み仮名がわかりづらい生徒がいるのも確かに困るが、
1クラス平均総勢40名という、大人数の顔と名前を一致させるのも大変だからである。

堀「大澤くん。」
大澤「はい。」
堀「ん……が、崖上(がけがみ)さん?」
崖上「違いますポニョです。」
堀「歴史は繰り返すのですね。」

堀「次は……風谷……これはもしや…いや…そんな…またなんてことは…しかし…。」
生徒C「先生、どうしたんですか?」
堀「い、いや、何でもないですよ。……ナ、ナウシカさん。」
風谷「違いますかざやです。」
堀「もう嫌です。」

こうして全員の出欠を確認し終えたときには、堀は既にすさまじい疲労を覚えてしまっていた。
だが新年度の初日の授業でいきなり弱音を吐くわけにはいかない。彼は続けた。
堀「えー、ではそろそろ、授業に入りましょう。
  じゃぁ…まず教科書の確認から。これ、みなさん持ってきてますか。」
生徒D「あの、先生。」
堀「どうしました?」
生徒D「間違えてシュークリーム持ってきちゃったんですけど。」
堀「君は確実に本棚の使い方を間違えています。」

生徒E「先生、おれも忘れました。」
堀「まったくもう…。他に、教科書を忘れた人はいますか?」
生徒FGHIJK「はい。」
堀「あれー、多いですね。入学後に配られたプリントにちゃんと書いてあったはずですよ。」
生徒FGHIJK「書いてありました。」
堀「じゃぁどうして。」
生徒FGHIJK「わざとです。」
堀「宣戦布告とみなします。」

結局クラスの半数以上が意図的に教科書を忘れていたということで、
堀の初回授業は彼の名前にまつわる無意味な雑談で終わってしまい、
唯一の収穫といえば、生徒の間での彼のあだ名が「ホリュー」になったことぐらいであった。
だがこの日の残りの授業では特に困ることもなく、
彼はカナリヤ高校での教師としての初日を、無事終えることができたのだった。

夕方、堀が職員室へ戻って翌日の授業の準備をしていると、
同じ英語科担当の「磐田ジュビ男」が話しかけてきた。
余談だが、彼の両親がこの世で一番嫌いなものはサッカーだそうである。
磐田「堀先生、どうでした?うちの学校の授業の感触は?」
堀「ええ、とてもいい子たちばかりで、授業がしやすくて助かりました。」
磐田「それは良かった。1年生のクラスも受け持っているとお聞きしましたが。」
堀「はは…、あのクラスは生徒の名前がちょっと難しくて、出欠を取るのに手間取りました。」
磐田「あー、それ私もよくあるんですよ。ほんっと、読みづらい苗字って困りますよね。」
堀「ええ、何でも当て字のようなものが多くて。」
磐田「ぼくが今朝行ったクラスには、『雄谷』と書いてグランドキャニオンって子がいましたよ。」
堀「そちらの方が数倍上手のようです。」

―新年度の授業が始まって早1ヵ月。
生徒たちは新しいクラスに馴染みはじめ、授業の内容も安定したものになってきた。
カナリヤ高校の教師1年生である堀も、次第に学校の雰囲気に慣れ始めてはいたが、
授業中に突然勢いよく大根をおろし始めたり、小豆を箸で皿から皿へ移動させ始めたりなど、
特定のクラスにおける生徒の奇行には時折悩まされていたのだった。
そんな堀は今、火曜日の3時限の授業がある2年C組へ向かっていた。

キーンコーンカーンコーン
堀「では授業を始めまーす。今日は教科書本文の…48ページからでしたね。
  前回は、4行目の関係副詞について説明しました。そこの復習からいきましょう。」
生徒A「先生、そこについてちょっと聞きたかったんですけど。」
堀「何ですか?」
生徒A「どうしてここの the case が先行詞だとすぐにわかるんですか?」
堀「うん、そこはですね、下の行にあるwhereが」
生徒A「ありがとうございました。」
堀はくじけない。

堀「じゃぁいつも通り、順に訳していってもらいましょうか。
  今日は5月17日だから… 5 + 17 で22。出席番号22番の人。」
生徒一同「…。」
堀「あれ、22番の人は誰ですか。いないんですか?」
生徒B「先生、多分22番は滝本くんですけど、今日は風邪で休んでます。」
生徒C「昨日も来てなかったみたいです。」
堀「そうなんですか…新学期の疲れが出たんでしょうかね。」
滝本「明日には来ると思います。」
生徒B・生徒Cおよび滝本は強制欠席扱いとなった。

堀「まったく …では…5 + 1 +7 で13、13番の人。」
生徒D「先生、13番は遠藤さんですけど、さっき2時限目のあと早退しました。」
堀「早退?出席簿には書いてない…ですね。
  どこか具合でも悪かったのかな…。何か、彼女から聞いてますか?」
生徒E「今日傘持ってきてないのに雨降りそうだから帰ると言ってました。」
堀「私は雨以下なんですね。」
堀はくじけない。

堀「次こそ…。じゃぁ今日は17日だから、素直に出席番号17の人。
  17番は…斎藤さん、ですね。じゃぁ4行目からお願いします。」
斎藤「嫌です早退します。」
堀はくじけた。

堀「では森川さん、9行目の Often からお願いします。」
森川「えっと…彼らはよく…彼らの言わなければならないことを…そのやり方で……。」
堀「うーん、ちょっと読みきれてないみたいですね。」
森川「オフン!オフンオフン!オフフ!オフフフ!オッ!オッ!」
彼女は精神崩壊を起こし保健室へ搬送された。

授業の予習をしてこなかった者は、授業中に当てられると、大抵はこのように焦って答えられない。
そもそも、予習をきちんとやってきている者のほうが少ないので、
生徒たちはいつ自分が当てられるかとひやひやしていることが多いのである。

堀「じゃぁ後ろの席の岡崎くん、同じ個所をお願いします。」
岡崎「なぜ後ろの席の人なんですか。」
堀「えっ。」
岡崎「もっと柔軟な発想をもってください。後ろを含め4方向、さらに斜め方向という手もあります。
   選べる道は一つじゃないし、様々なパターンが考えられるはずです。
   切り開ける進路には無限の可能性があるんですよ先生。」
堀「なるほど。確かにその通りかもしれません。」
岡崎「納得してもらえましたか。」
堀「ええ、では左斜め後ろに3席移動したのち、
  右に3席移動した席から2つ前にいる岡崎君お願いします。」
岡崎は滅びた。

何だかんだ言いながら授業は順調に進み、残り時間もわずかになってきた。
この時間帯になると、生徒たちの目はもはや黒板の上にかかっている時計の針の動きに釘付けである。
堀「えー、というのが、第3段落の要旨だったわけです。大丈夫ですか?
  さて…次の段落に進むには…ちょっともう時間が…微妙ですね。
  じゃぁ、キリがいいので今日はもうこれで終わ」
生徒F「お疲れさまでした。」
生徒G「お疲れさまでした。」
生徒H「お疲れさまでした。」
生徒I「お疲れさまでした。」
生徒J「お疲れさまでした。」
堀は無言で教室を後にした。

こうして毎度のように授業をなんとかこなした堀は、次の授業の準備をするために職員室へ戻った。
4時限目の担当はあの1年F組で、授業の始めに英単語テストを実施することになっている。
このテストは、入学と同時に配られた英単語帳「ターッゲト1900」から毎週25問ずつ出題され、
生徒たちの単語力の向上だけでなく、定期的な勉強習慣をも意図して設けられたものである。

10分休みが終わり、4時限目のチャイムが鳴った。
堀「はーい、じゃぁ机の上のものをしまってください。」
生徒C「先生。」
堀「はい?」
生徒C「シュークリームは出しててもいいですか?」
堀「君は一体これから何をする気ですか。」

堀「今11時35分ですから、解答は45分までですね。では、始めてください。」

生徒K「先生、質問が。」
堀「どうしました?」
生徒K「ここの答え何ですか?」
堀「そんな正々堂々と不正されても困ります。」

10分間はあっという間に過ぎ去り、テストは終了した。
堀「はい、じゃぁそこまでです。後ろの人から解答用紙を集めてきてください。」
岡崎「なぜ後ろの席の人からなんですか。」
堀「どこから湧いてきたんですか君は。」
岡崎は逆立ちしながら2年C組へ戻っていった。

堀「では教科書に入りましょう。今日は教科書本文40ページの続きからですね。」
生徒L「あの、先生。」
堀「どうしました?」
生徒L「トイレ行ってもらってもいいですか?」
堀「私が行くんですか。」
堀は無理やりトイレに連れて行かれ、この日の授業は中止となった。

昼休み、何とかトイレから脱出した堀は、思い切って理事長に相談をしに行った。
堀「理事長、あの生徒たちのおふざけはどうすればいいんでしょうか。」
理事長「まぁ高校1年生ぐらいの子どもなら、それぐらいよくあることですよ。」
堀「教師をトイレに強制連行する高校1年生なんて聞いたことありません。」
理事長「いやそうは言ってもですね…。」
堀「理事長、何とかお願いします。」
理事長「そうですね…わかりました。私のほうからきつく言いましょう。」
堀「ありがとうございます。」
理事長「相談なんかするんじゃねえ!!!!!」
堀「私に言うんですか。」

こうして堀はカナリヤ高校での厳しい教員生活を送り続けることとなったのだった。




 
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