中学校生活最後の運動会

2004年5月29日。
今日は都内某所にある「悪魔死神デーモン中学校」の運動会である。
3年B組の「ルートヴィヒ=ヴァン=高田」は、この日をずっと楽しみにしていた。
何故なら彼は学年で一番足が速く、運動神経も抜群のスポーツマンだったからだ。
しかし彼は字がかけないのでその時点で中学生として終了している。

まぁそんなこんなで楽しい運動会になるはずだっただが、
あんな悲惨な行事になるとは誰も予想できなかったことだろう。
高田の日記には、以下のようにその日の出来事が鮮明に記録されていた。

開会式、誰もこんなことやりたいと思っている奴はいない。
最初にするのはラジオ体操、俺と同じクラスの「ジェニファー」が指揮をすることになっている。
彼は相当緊張していたらしく、朝礼台の上に乗る途中で台を踏み外し骨折して、
その後の運動会のすべての競技を辞退した。

開会式の中で「選手宣誓」というものがあるのはご存知だろう、
これを言うのは3年D組の「和田」とかいうやつで、俺はあんまり話したことがない。
彼は選手宣誓で校長先生の前で右手を上げてこう言った。
「宣誓!我々選手一同は、スポーツマンシップにのっとり、
 正々堂々戦うことを…………誓えません!すいません!うわああああああ!」
彼はこのセリフを最後にこの学校を去った。

最初の競技はお馴染み100M走。俺は出ないが、短距離は見ているだけで楽しい。
11組目に友人の「笠原」が出てきた。
彼の足の速さは普通であるが、親しい友人が走るので俺は集中して見ていた。
「位置について…用意…ドン!ドン!」
笠原はフライングした。
2回目、「位置について…用意…ドン!ドン!ドン!ドン!」
今度はピストルが壊れて4発も乱射した。
3回目、「位置について…用意…ドン!」
ついに成功した。笠原は1レーンなので一番インコースである、いいスタートを切った。
笠原はぐんぐん加速してカーブにさしかかった。
しかしそこで体を内側に20度まで傾けたため転倒した。
急いで立ち上がって抜かれた選手を必死で追いかけたが、まったく追いつかなかった。
彼は悔しさでおかしくなったのか、地面に話しかけていた。

11時半ごろ、やっと俺の出る200M走の時間になった。
俺は100Mより200Mの方が好きなのだが、
その理由はきわめて単純で、走ってる姿それだけ長くを見てもらえるからだ。
俺は200M走の最後の組で、一緒に走るのは同じクラスの「相沢」と3年A組の「神保」だ。
相沢はなかなかの短距離のやり手で、クラスでは俺の次に速い。
神保は小学校の頃一緒だったが、中学校に入ってからはあまり話さなくなった。

1つ前の組がスタートラインに着いたので、俺たちは各自直前のストレッチをし始めた。
相沢は伸脚をやっている途中、神保にヒザを前方からおもいっきりローキックされて骨折した。
そういうことで相沢は負傷、神保は退場、俺の不戦勝となってしまった。

12時半になり、1時間の昼休みになった。
各自教室に戻って弁当など持参した昼食を食べる。
俺は笠原に「100M走残念だったな」と言おうとしたが、
彼は教室の隅で今度は弁当箱と話していたので何も言わないことにした。

というわけで俺は原田というやつと一緒に昼食を食べることにした。
彼に「お前の弁当何?」と聞くと「ティラノサウルス」と言ってきたので彼の顔面にひじ鉄を食らわした。
そして俺は自分の弁当箱を開いたが、
中にはプテラノドンが入っていたので、帰ったら母を隠岐へ配流することに決めた。

午後の部の最初は、全員種目である「綱引き」であった。
こんな競技は紀元前に廃止するべきだが、何故か現在も存在している。
初戦は紅組と白組の対決で、両チーム縄に沿って立つ。開始の笛が鳴る。
「オーエス!オーエス!」と掛け声をかけ、白組は全力で縄を引き出しはじめた。

しかし縄は微動だにしない、赤組にはそんなに大勢筋肉隆々な輩がいるのか。
結局白組が力尽きて敗退したが、赤組は応援団長の指示によって
校舎に縄を結び付け固定していたことが後に発覚し、赤組はこの運動会から除名処分された。

次は各団による応援合戦。俺が所属するのは黄土色組だから応援なんかする気にもならない。
しかし物好きな奴らがいて、応援団に入ってこの日のために猛練習をしてきたらしい。
黄土色組の応援団は一斉に「荒城の月」に合わせてサンバを踊り始めた。
周知のことだが、評価でうちの団に入った得点はない。

運動会最後で一番盛り上がる種目といえばもちろん、クラス代表による選抜リレーだ。
俺は学年一速いこともあってB組のアンカーになった、周りのやつらは俺にビビっているに違いない。
と思いきや、他のクラスの選手たちは全員、
何やら名探偵コナンに出てくるコナンの靴らしきものを履いていた。

間違いなく「キック力増強シューズ」だった。

俺はあの運動会の日以来走ることをやめた。
高校に入ってから聞いたことだが、
「あの運動会は高田の惨めさをひけらかす絶好のチャンスだった。」
と担任の金林は言ったらしい。




 
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